組織を維持するために個人があるのではない。
個人がひとりでいるよりも幸せでいられるような場をどうやってつくるか考えて実践するひとたちのあつまりが組織なのだと思う。
会社だって、ファミリーだって。
昨日、ムスメの発熱で、リベルタ学舎全マネージャーが揃う月例会議に少し遅れて到着。
その瞬間に、目に飛び込んできたホワイトボードの文字。

「カナさんいなくても余裕」

うれしくてうれしくてうれしくて。
  
 
ムスメにも話しているけど、「カナがいなくても生きていけるようになってね」。それだけが、先に死にゆく母の願い。それが、子育てのゴールだと思っている。
「カナさんいなくても余裕」なマネージャーさんたちが笑顔で主体的に、
間違っても「リベルタ学舎のために!」とか「カナさんのために!」なんて言わずに、
しっかりと静かに、まずは自分のためにという軸をぶれさせることなく、
自分の幸せために必要だから、そんな仲間といるのが楽しいからという理由で、
リベルタ学舎という組織をそれぞれ考えてつくってくれている。
うれしくてうれしくてうれしくて。
私も楽しくて仕方ないから、ここで一緒にやらせてね! と、心から願っている。
 
 
朝のべっぴんさん見てたら、会社のため妻のために頑張ってるんや~と酔いつぶれる男前に、職人さんが「おまえは、見誤ってる。ひとは、自分の幸せのために生きるんや」と言っていた。
自分が必要とされる喜びを得るために、他人の人生を使ったりしないこと。
自分と違う命への敬意。
他人がそれぞれ、自身の人生を樹てていくことへの敬意。
他人の人生の固有のエリアを邪魔しないという敬意。
それは自分自身もまた、自分の人生のエリアにおいては、恐れや孤独の気配のなかでも、自分ひとりでまっすぐ立つという覚悟をもつということを意味するのだろう。
 
まずは、自分の幸せを自分でつくれるひとになる。
そうすれば、おのずと、まわりは幸せになる。
会社や家族のために自分を犠牲にするというのは、自分がしっかりと幸せになるという人生最大のタフな課題から逃げているのかもしれないな。
だって、ムスメが「カナのために~」と言うときは、だいたい自分がまっすぐ出せない欲望を、ごまかしたいときだものw
きっと、私もまた。
 
 
「カナさんいなくても余裕」
そう、笑顔でいてくれるひとたちがつくる組織にいて、めちゃめちゃに幸せ~☆
だってそれは、「私は状況がどうあっても、ひとのせいにせず、自分で自分の幸せをつくれます」っていうことだから。
「あなたがいなくてもだいじょうぶ」と言われることを喜べる、ほんとうに強くて優しいひとたち、いつも本当にありがとう~!!
私も頑張ろう☆

「カナさんいなくても余裕」ーひとは、自分の幸せのために生きるんや

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です