「私たちがすべきことは、子どもたちを感動させることでも根性でがんばれと励ますことでもなく、困ったときにどうすればいいかを伝え、困っている子どもから信頼されるような大人になることだと思います」

「子どもの心に配慮した根拠ある教育を」
http://www.huffingtonpost.jp/yasumi-morito/education-with-consideration-for-childrens-mind_b_14349714.html
 
 
私が「弱さ」にこだわるのは、それが「多様性」を支えるからなのだと、この記事を読んで気づいた。
 
 
「感動」は、映画のCMで「全米No.1ヒット!」に続く定番となったように、「多数」を指向する。「3,500万人が感動!」とかね。
「根性」も、軍隊で用いられたように、「多数」を一度にどうにかしようとするときに用いられがち。

いまよく行われている「命の教育」が(二分の一成人式であれ)「感動もの」だったり「根性もの」だったりで多数を指向する以上、少数は常にこぼれ続ける。
でも、人生、自分がどこでぽろっと少数になるかわからない。
そのときに、「命は感動のストーリーだ」「あんな障害あっても頑張ってるのだから自分も頑張らないと」としか知らないことは、何の役にも立たない……どころか、かえって自分を追い詰めるかもしれない。
 
  

「自傷や自殺をする子どもたちは自傷や自殺をしたいのではなく、つらい状況を他にどうしたらいいのかわからないのだと、援助希求能力が低い」

 
 
「命の教育」は、淡々とやればいい。いや、人任せにするんじゃなくて、個々人の弱さや多様性を受け容れられる大人として、私たちが、通りすがりのこどもたちに寄り添えるようになればいいんだ。
 
 
……あれ? 熱、下がったかな。元気になってきたぞ!

「感動」も「根性」も、多数を指向するから-「命の教育」を考える

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