「スペインになくて、日本にあるもの」

 

はじめまして。湯川カナと申します。学生起業したり、ヤフージャパンの立ち上げにかかわったり、言葉もわからないスペインに移住してフリーライターとなったり。

現在は神戸で、「生きる知恵と力を高める リベルタ学舎」という、マニュアルなき明日を生きるための学びと実践の場を立ち上げ、試行錯誤しながら運営しています。

 

スペインには十年いました。
両親とも日本人ながらマドリード生まれの娘は、一歳から現地の保育園に通いました。二五年前の創立時はロマとスペイン人の、そして現在は移民とスペイン人の多文化共存を理念とするNGOの園です。園長はまだ二十代、耳から鼻からヘソまでピアス、しゃがめば小さなお尻にTバックの紐とバラのタトゥーが覗く、めちゃパンクな女性。でこぼこした土の園庭を、いろんな国のこどもたちがオムツ一丁で駆け回っていました。

 

娘が三歳になるときに、帰国しました。
すぐ、三歳児健診です。ちいさな子たちを裸で待機させ、泣きわめく子がいても流れ作業で診察をしていく様子に、私はひとり「おお、まるで徴兵検査だ!」とドキドキしていました。そのとき、思い出した言葉があります。

 

遡ること数年。
「ほぼ日刊イトイ新聞」での連載をはじめとするライターの仕事をいったん整理した私は、『大衆の反逆』オルテガ=イ=ガセーが教鞭をとっていた大学に一年間通いました。そこで社会学の教授に、個人的に小論文指導を受けていました。

テーマのひとつが、日本の体育教育。小さく前へならえ、休め。背の順で並び、行進をする……。一読した教授が、言いました。「ああ、これならスペインにもあるよ」 まさか。驚く私に、彼は付け足しました。
「ただ、フランコ将軍の独裁時代だけどね。朝礼台の前では、ハイル・ヒトラーってやるんだろう?」

 
 

さて、徴兵検査的な集団検診の数日後、今度は転入した保育園で発表会がありました。
クラス毎に列をつくり、しずしずと舞台に登場するところからスタートです。一行が舞台に向けて歩き出した瞬間、列の中央あたりにいた娘が、ひとりバーッと駆け出し、先頭に立つや満面の笑みでガッツポーズを決めました。そう、彼女には「列に並ぶ」という経験が、二年間の集団保育で一度もなかったのでした。
現代のスペインでは、列に並ぶとか行進の練習とか、フランコ時代を思い出させるような「集団行動」を学ばせることは、まずしません。

 
 

行動のベースが集団だと、上位者による指示を待つようになります。そこでは管理が、最重要課題となるからです。
これは、集団でひとつの安定した品質のモノを効率良く作るとき――たとえば兵隊や、トヨタの自動車――には、大きな威力を発揮します。
「はやく」「きちんと」「ちゃんと」が、七十年代以降、親からこどもへの声かけのなかで圧倒的に多かったというのも、みんなで優秀な企業戦士になって捲土重来、今度は経済でジャパン・アズ・ナンバーワン、という悲願の現れにも思えますね。

 

でも、右肩上がりの時代は終わり、人口減という初のフェーズに入りました。
このマニュアルなき時代を生きるための知恵と力を、みんなで高めていきたい。今日まで生き延びてきた人間にはその力があるのだから。そういう思いで、「リベルタ学舎」を立ち上げました。親子で山登りや薪割り、また主婦のグループ起業支援、農へのきっかけづくりなどを行っています。
上位者の指示を待たず、自分で判断できるひとになるために。

 
 

ところで、集団と切り離せない「効率」という言葉は、「機械などの、仕事量と消費されたエネルギーとの比率」を意味するそうです。人間に「効率」という言葉を当てはめたくなったときは、ちょっと立ち止まっていいのかもしれないですね。そういえばスペインは、すべてが非効率で、そして、実に人間的だったのでした。

 
 
 

<プロフィール>

ゆかわ かな
生きる知恵と力を高める(一社)リベルタ学舎代表
近著『「他力資本主義」宣言―「脱・自己責任」と
「連帯」でこれからを生きる』(徳間書店)
1973年生まれ、早稲田大学法学部卒
 

(以上、教育雑誌「人展と教育」2015年秋号掲載-「私たちは知っている」より)

 

人間に「効率」という言葉を当てはめたくなったときは-連載「人間と教育」誌より

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