昨夜は、凱風館ゼミの新年初回。お題は、「子どもへのまなざし」。発表は、大好きな小児科医さん。
親子のための場作りもする、信頼する小児科医さんから、「身も蓋もない」病んだ母子の実情レポート。
その後の質疑応答で、私は、「これから子宮で考える」という、経済効率を最優先する社会へのカウンターとしての試みについて質問しました。
それに対する内田樹先生からの言葉で、印象に残ったことをいくつか。
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子孫を残すという生物学的な意味では、男は100人のうち1人いればよい。あとの99人を奴隷にしないための「擬制」が、いまの社会である。ベースは「男の哀しみ」。
たとえばアメリカの場合は、西部開拓時代の圧倒的な女性不足という「男の恨み」が社会をかたちづくる大きなファクターとなっている。
ただし、その「幻想」があまりにも過剰になり、脳と身体が乖離しているのが、現在。
そこのバランスをとっていく、生物学的リアリティを取り戻していくのが課題であろう。
とはいえ、ひとつのソリューションを求めるのでなく、「だましだまし」で。
ひとつのソリューション=「最適解を選択する」というやりかた、そのプレッシャーが、さらに最適解から遠ざける。
情報を遮断しないと、生き物としての判断能力が落ちていく。
「だましだまし」、たとえば、優しいひとと優しい場所を手作りしていくこと。
「あなたの育児が悪いわけではない」と、ひとの責任感を低減する言葉がけをすること。
「生きていればそれでいいんだよ」という、雑な言葉で、抱きしめること。
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よくもまあ自分に引き寄せて理解したものだと我ながら惚れ惚れしつつも、そういうことです。
私の役割、たぶん、そこなのだなあと、再認識した次第でした。
あなたが生きているだけで、私はうれしい。
そういう愛を、伝えつづけること。