前回、ご紹介した児童精神科医の石川憲彦さん。
「生きる」を診察室の外で見守るお医者さんに、インタビューしました。
湯川:石川先生は「わからない」と、よく言われますね。
当たり前ですが、診察室のこどものことは知っていても、学校に行くと、まったく違うことが起こるんです。だから、みんなで海なんかで遊べばわかるかと、キャンプを始めました。
間違えてはいけないのは、医者にとっての「良いこと」、それから教師にとっての「良いこと」と、あとずっと生きていくうえでの「良いこと」が、同じではないということですよね。
東大病院の小児科時代、1970年代に、その20年前、つまり1950年代のカルテの追跡調査をしました。当時はみんなの願いで養護学校を作った時代で、ほとんどの子は養護学校に行っています。
ところが、20年経って聞いてみると、親たちの思いは複雑なんだよね。大人になってもあんなふうに元気なら、うちの子も、ひとりだけ遠くの学校に行かさなくても良かったのではないか。
このことは、阪神淡路大震災でも問題になりました。
地域で避難生活が始まったとき、普通学級に行っている子なら、みんなが顔を知っているから、なんとかやっていける。一方で、顔を知らないと、なんとなく外されちゃうということがあったんです。
医師や教師って、「学校で良いこと」で成功しているでしょ? でも生活のなかの「良いこと」がエリートの目で見たものと同じかというと、相当疑わしいよね。
「 本人のため? 」
湯川: いまは社会全体が「発達障害は病気だから区別して、個々に特別な支援教育をする方が、本人のため」という流れになっていて、そう思う親御さんも多いと思いますが。
もちろん、養護学校ができた当初と同じで、権利要求の面もあったと思います。ただ、差別は障害があるから起こるのではなく、分けるから起こる。
困っているなら、その状況を支援すれば良いだけの話ですよね。しんどいことをどう解決しようかと考えれば良いわけで、わざわざ「障害」のレッテルを貼る必要はないでしょ?
そして、実はこの「本人のため」というのもくせもので、たしかに建前としてはあるんだけど、よくよく聞くと、実は集団を守るためという本音が見えちゃうこともある。
一緒にキャンプに行っていた、身体に麻痺のある子の話です。親は、こどもが養護学校に行くことに、とくに迷いはなかったのね。その方が適切な教育を受けられるという説明もあって。
それが、ふと「もし普通の学校に行ったらどうでしょうか?」と言った瞬間、教育委員が血相を変えた。「お母さん、考えてみなさい。火事のときこの子が足手まといになって、他の子が死んだらどうします?」 ポロッと本音が見えちゃった。
そういうこともあって、結局9人くらい、重度の障害がある子がみんな、普通学級に行くことになりました。それまで就学猶予・免除規定があり、学校に行かないか、行くとしても養護学校という時代だったですが。
「 なにか間違っている 」
湯川: 担当医として、石川先生はどのように感じられましたか?
医者の常識でも、普通の学校に行くなんて思いません。大変だ、いじめられたりなんだり、問題がいっぱいあるだろうと考えましたね。
ところが、行ってみたらまあ、いろいろとおもしろいわけ。麻痺があって家で大事にされている子が、悪ガキなんかに乱暴に扱われて。
ある日、見ていた親が慌てて止めに入ったら、本人がめちゃくちゃになりながら、ものすごく楽しそうな顔をしていた。その瞬間、思ったそうです。
なにか間違っている、と。
「リハビリして機能が良くなることが幸せ」は、大人が考えた社会的な価値観。
それと、こども自身の「こんな顔見たことがない」という顔は、まったく別ものなのです。
医者の側に、人間の「標準」という概念があって、そこからずれているものを戻す、「正常」にする。それが医療のひとつのかたちだよね。
一方で、本人の「私を返せ」という叫びは、我々医療者が考える「標準」とは違うかもしれない。
たとえば(水頭症の)タックンの場合、染色体の問題もあったりして、なかには中絶をすすめる医者も、やはりいました。「生まれてもご両親に苦労が待っているだけだし、この子も幸せじゃない」と。いまも出生前診断で、中絶が「治療」の二番目の選択肢になりますでしょう。
出生後も、脳圧が上がって赤ちゃんが苦しそうなので、親が手術を願っても、外科医は、染色体異常なのだから手術しても意味がないと、しない。
「標準」からの差違をみるのが病理です。
これと、「生きること」そのものの生理とは、違う。人間を病理だけで見ていると、我々は見失なってしまうものがあります。
「 一回性のことだけ動く 」
湯川: とはいえ最近、発達障害者支援法で早期発見と訓練を後押ししたり、障害者自立支援法が成立したりと、「病理」の視点から「リハビリして機能を良くする」を推す傾向が強いように思います。
早期発見は、がんなどで言われ出したときには、部分的には、一定の説得力がありました。せこい大人としては、「もうちょっと早く見つけていれば」という悔やみも、正しいかどうかは別にして、あったかもしれない。
あるいは戦後すぐ、ペニシリンが出た時代に、感染症をなるべく早く見つけて、命がなくなる前に助けてあげよう、と。そういう意味での早期発見・早期治療概念は、全面的には否定できません。
ただ、そのうちにどんどん拡大解釈されて、命に関わらないものについてまで、盛んに言われるようになったんだよね。
しかし、先ほどお話ししたように、ずっと生きていうえで何が良いかは、誰にもわかりません。
エリートの考えることが、排除される側にとって本当に「良いこと」かも、非常に疑わしい。
ならば、早期発見なんてという言葉に踊らされず、一回性のことだけに限って動いて、その時にできるいちばんのことをする。
それだけでいいのではないでしょうか。あとは、実際に困った時に、その場で考えていけばいい。
しんどかったら、どうやってそれを解決しようか。泣いていたら、どうやったら一緒にいて楽しくなれるか。できない時には、どう我慢させるか。
ともかく、「状況を支援する」という文脈で考えれば良いだけのことです。
怪我をして血を流しているなら別ですが、この子はこんな子だってレッテルを貼って、だから何を治そうなんて、そんなのは要らないわけ。
湯川: 私たちがゆいいつ動く「一回性のこと」というのは、具体的にはどういう場面になりますか?
「生きる・死ぬ」ということだよね。これだけは、一回性のことでしょう?
その他のことは、生き続けている限り、なんとかなることがらです。
「 みんなで生きていく 」
自立支援についてですが、以前は私も、こどもはいずれ親から独立する存在という前提のもとに、自立支援をしていくという立場でした。
でも、これからの社会は、もうわからないよね。福祉というのは、基本的に「お余り」だから。
いままでは高度成長のもと、パイの分け前が十分にあるから福祉の質も上がってきたけど、いずれは切られると考えておいた方がいい。
実際すでに、生活保護所帯の数をどうするのなんて言い出しているでしょ。
じゃ、どうするか。
みんなで生きていけばいいわけ。
あんまり「この子が自立したら」にこだわるより、家族の枠で考えるか、あるいはもっと拡げるべきかとか、みんなで生きる術を得ていけばいいよね。
人間同士が分断されるのではなく、一緒に共有していくなかで、「これから、一緒に生きていこうか」と言えることが大事だと思うんです。
(インタビュー2につづく)
※12/6(土) 14:30~ 石川憲彦先生とお話会
「こどもとの時間が楽しくなる3つのヒント」
イヤイヤ期、反抗期、思春期。登校拒否、発達障害、引きこもり……。
「こどもといるのがしんどい」と思うとき、こどもだって「親といるのがしんどい」と思っているかもしれません。
児童精神科医の石川憲彦さんは、生きづらさを抱えるこどもたちと向かいあって40年。
そこから見えてきた、親子の関係をつなぎなおす3つのヒントとは。
定員20名程度。畳のうえでのんびり、お話し会です。お子さま連れ、大歓迎!