10月4日付、パリ発のニュースより:
「世界の貧富の格差が拡大、1820年代の水準にまで悪化-OECD」
【10月4日 AFP】経済協力開発機構(OECD)は2日、世界の富裕層と貧困層の格差の拡大は1820年代と同じ水準にまで悪化しているとの報告書を公表し、こうした変化は過去200年で「最も憂慮すべき」事柄の1つだと警告した。
過去2世紀の世界の生活状態を調べた報告書の中でOECDは、所得の不均衡が急速に拡大したのはグローバル化が進み始めた1980年代以降だと指摘している…
で、さっき、朝いちばんにぺらりと開いた本のページ、最初の行がいきなりこれ。
「格差社会というのは、成員たちが単一の度量衡で格付けされる社会のことです。ただ一つの度量衡で格付けできるからこそ、格差が発生するのです。それが昔の階級社会と違うところです。
階級社会では、それぞれの階級毎に価値観が違っていました」(『街場の共同体論』内田樹/※太字は私)
グローバリゼーションとはつまり、みんなが同じ「マーケット」に入るということ。
そこでは「価格」や「質」や「労働力」やなにかが、「単一の度量衡」で比較される。
・カボチャはいくらか。
・メモリの容量はどれだけか。
・一時間にどれだけ多くのパーツ組み立てができるか。
そこには、あなた固有の「命」を求めるものがない。
「愛」がない。
だからヤだったんだなー、グローバリゼーション。
と、あらためて。
だって、比較され続けて生きるのって、大変だよ。
これは、偏差値をベースとした受験戦争を3年やってきて、ほとほと感じていること。
同じような「比較」が、
日本ではなく「世界」という広さのなかで(よりシビアに)、
しかも、勉強だけじゃなく「お金」という何にでも換算できるもので(より広汎に)、
さらに、期限が定められることなく延々と行われる(今日の勝者が明日の敗者)……
しんどそうだなあ。
「勝(しょ)」を捨てよ、マーケットから出よう。
固有の命を、消費されずに、生きたいから。