「人は自分の狂気と共存でき、人生の主人公として生きることができる」
イタリアからは、精神科病院がとっくになくなっているという。
ひるがえって、「WHOが把握している世界の精神科病床の総数185万床の内、日本には約32万床のベッドがあり、世界全体の約5分の1のベッドが日本に存在していることになる(2001年時点)」。
この差はどこにあるのか。
Facebook、ふるい友人で”パノラマサンダルカメラマン”相川博昭さんのシェアで、「精神科病院がなくなったイタリアから、何を学べるか」という記事を知った。
http://www.hurights.or.jp/archives/newsletter/sectiion3/2013/05/post-210.html
かつて「家・地縁」から「隔離」と進んできた「医療」は、いま、「隔離」から「共生(地域ケアシステム)」へと変遷を辿っている。
仲良しの医師・本田美和子さんが惚れ込み日本の窓口となっている認知症ケアシステム「ユマニチュード」を生んだ、フランスの小村ペルピニャンなども、その一例だ。
いわゆる「精神病」についても、同じ世界的な潮流がある。
そのなかで「イタリアはこの現実に目を向け、1970年代に脱精神科病院を掲げて政策転換し、1998年には全ての精神科病院が機能を停止した」という。
一方で日本では、まだまだ「隔離」への道を進んでいるとしか思えない。
発達障害が、その典型的な例だ。
普通学級から、教師の判断によると小学校1年生で約10人に1人を、「発達障害の疑いあり」とスクリーニングし、特別支援学級または特別支援学校に「取り出す」。
この「取り出す」というのは、大阪の教育現場で実際に使われている用語であるというのを、関係者から聞いている。
イタリアと日本の、この差はなんだ。
考えざるを得ない。
そして、わりと気質が似た南欧スペインに長いこと住んでいた感覚から、雑に断言する。
それは、おそらく、「人間まるごと」で生きる力の差だ。
リベルタ学舎には、春休み、たくさんのこどもたちがきてくれた。
なかにはいわゆる発達障害と呼ばれるこどもたちもいた。
私たちは医療機関ではない。治療はしない。
とくべつなケアもしない。
ただ、分けなかった。別の場所を用意しなかった。
みんなと一緒にいるなかで、目を離さなかった。
ほかのこどもたちと同様に、本気で毎日ごはんをつくっているのを、ていねいに見ただけだ。
それだけで、春休みが終わるとき、何人かのお母さんに、「私たち親子はどこでも否定され続けてきたのに、ここではじめて、できる! すごい!って言われて、涙が出るほど嬉しかった」と言われた。
私たちはそれを、同情や教育的効果から言ったのではない。
本当にそうだから言っただけだ。
だって、「できてる」し。
昨日、(そのイベント自体は本当に残念ながら原稿締切で行けなかったのだけど)能楽師の安田登さんとお話をさせていただく機会を得た。
安田さんは寺子屋を主催されていて、いろんなこどもたちと一緒に連歌をしたりという試みをされている。
いわゆる「多動」と診断されている子もいるけれど、安田さんのところでは、2時間もじっと集中して学んでいる。 その子の親御さんが学校に呼ばれて、「お子さんが少しもじっとできないので困っている」と言われた。
安田さんは飛んでいって「うちではじっと座っています」と説明されたという。
もしもその子が、ここでできることをどこかの場所ではできないのなら、それはその子の「問題」ではなく、むしろその環境に「問題」がある。
これは、リベルタ学舎の開校記念講演に来て下さった児童精神科医・石川憲彦さんのことば。その通りだと思う。
病んでいるのは、私たちがつくってきた、いまの日本の社会ではないのか? 世界でいちばん精神科病床が多いという、小学校1年生の10人に1人が発達障害とされる、この、いま目の前にある社会。
人間のことだ。
人間の生きることだ。
人間が人間と生きることだ。
今回紹介したリンク先から、一言だけ、抜粋して紹介。
幻聴や妄想があるとき、そこにあるのは単なる「疾患」ではなく、そこから生まれる人間関係の亀裂、失職、貧困といった「人生の苦悩」であり、その苦悩は社会的なものだ、だから社会的な解決が求められる
人間がつながっている。
それだけで、どうにかなる。
そのことを私は、心から信じている。
人間にはそれぞれ、じゅうぶんに、生き抜く力、隣人とともに生き抜く力、隣人の命を輝かせる力があるのだから。
ま、そういうわけで、私や、リベルタ学舎に身銭を切って集まってきているメンバーは、「わけない居場所」を、けんめいにつくっているようです。
その最新のひとつの長屋で、ちょうど明後日おひろめピザパーティー。
もしよかったら遊びにきてみてくださいね。
http://goo.gl/0Ai5K3