「かわいそうなんて言わないで!」 いま引きこもりブームの小4ムスメ、小学校の授業でつくったウェブマップ。
「冬休み」からはじまって、「家は温かい」「家っていいね」と、家のひととしてはわりと嬉しい言葉が並んでいる。サンキューサンキュー。
私は、「寒い冬はあまり家から出ない」は、生物としてわりとまっとうな選択だと思うし(いまインフルとか大流行中だし)、そもそも自称・引きこもりっていってもだいたい毎日楽しそうに学校行ってるし(←なんだそりゃ)、そういう時期もあっていいかとのんびり眺めている。
だけど、「かわいそう」と、同級生からも言われるのだそうだ。
「まなざし」の問題。
未婚女子は「妻」に引け目を感じ、
既婚女子は「母」に引け目を感じ、
母は社会で活躍する女子に引け目を感じる。
その、自分を見る「まなざし」は、本当に自分のものだろうか?
結婚していない女子を、こどもがいない女子を、離婚した女子を、仕事をしていない女子を、
「かわいそう!」という、無責任な世間のまなざしを、自分の中にうっかりビルトインしてしまっただけなのではないか?
胸を張って生きよう。
誰か知らないひとのまなざしは、自分の外に追いだそう。
自分の幸せに、忠実に懸命に生きよう。
他人の余計な言葉に耳を傾けているほど、わたしら、暇じゃないぜ☆
金曜に学級閉鎖になったムスメの小学校。
次の登校は水曜日。
月曜・火曜の仕事のリスケジュール等は完了。
今日のお昼だけ、新規事業のヒアリングに甲南大学へ行くという予定が、動かせなかった。
ゆうべから微熱のムスメとじっくり相談して、朝の様子も慎重に見て、お弁当つくりおいて3時間だけ、留守番してもらった。
「シングルマザーのこどもで、かわいそう」
つい、そういう声が聞こえる。でも、それは私自身のまなざしではないはずだ。私がそういうまなざしで見た瞬間、この子は「かわいそうな子」になる。「なんかあったらいつでもLINEで呼び戻してね。あなたが私の人生でいちばん大事なことだから」と言って、家を出た。まだ小学生だもの。
帰宅したらムスメはお弁当をからっぽにしてニコニコしながらベッドにいて「えー、もう帰ってきたの、早い!」と、ぷりぷり怒った。よかったよかった。
さあ、明日から3日間は、一緒に引きこもりだぜ!
「『学級閉鎖』って、学校が引きこもれって言ってるんだよね、ワーイワーイ☆」
ふと見ると、我が家のネズミも牧草でかまくらつくって中に引きこもっていた。ワーイワーイ!
あったかいおうち、バンザーイ☆
「私は生きたいように生きていて、幸せだ」
そう、いま・ここにいる自分を、断定する。
それだけで、いいのだ。きっと。
「かわいそう」というまなざしは、本当に自分のものなのか?