『崖の上のポニョ』を観た。ちなみに最初にタイトルを聞いたとき、「またも宮崎駿監督、下ネタか!」と思った。スペイン語で。
ラピュタ=La puta=「ザ・娼婦」、キキ(魔女の宅急便)=quiqui=「性的な交尾」。
そしてポニョ=poño と言われて思いつくのは、coño=「女性器」と、polla=「男性器」。うーむ。たまたまか…。
ともかく、『崖の上のポニョ』を観た。小2のムスメが、学校の音楽会で演奏して、興味をもったので。
一緒に観た。びっくりした。
ポニョはハムが好きだった(お父さんが「あんなもの」みたいなこと言ってましたね)。
そして、そうすけと食べていたのはチキンラーメンだった。みなさんには、いまさらですね。
宮崎駿監督は神格化されている。日本人は「祀る」のが大好きだから、仕方ない。
『風の谷のナウシカ』や『もののけ姫』は、エコロジーなひとたちのバイブルのようになっているらしい。素晴らしい話だから、仕方ない。
でも、「ナウシカ」の原作の絵本の方を見ればよくわかるのだけど、宮崎駿監督は、「美しくピュアなものバンザーイ!」なんて言っていない。
「しょせん血塗られた道だ」と殺戮に進むクシャナを押しとどめ、人間は「毒」とともに血を吐いても生きる、生命そのものの力で繰り返して生きる存在だと、ナウシカに言わせる。
むしろ、「苦しみや悲劇やおろかさは清浄な世界でもなくなりはしない。それは人間の一部なのだから」という。
こどもができて、食べるものに気をつかうようになった。
食品添加物が多いハムやソーセージなんて、「避けるべき」筆頭の食品だ。
でも、こどもは、ハムやソーセージが大好きだ。
2歳になる前の頃だったか。まだスペインにいた当時、保育園から帰ってきて、お腹が空いたという。
そうか、チャーハンでもつくろっか。ウエボ(卵)、セタ(キノコ)、セボージャ(タマネギ)、えーっとお肉がないから、
「ハムー! ママー、yo quiero (頂戴) ハムー!」 ムスメがせがむ。
オットが「ムスメが好きだから」と買ってくるので、家にはいつもハムがあった。
いや、ハムを食べさせるくらいなら、いっそなにも食べさせない方が。
そこまで考えて、ハッとした。
私、いったいなにを考えていたんだろう。
この子を「きれいに」育てようとするあまり、汚れるくらいなら生きなくてもよいと思ってはいなかったか?
それで、だけどやっぱり気にはなるから、「そこそこ」なかんじで今日まで過ごしている。
私が用意する朝食はおじやや卵焼き、オットが用意する朝食はパンにハムにソーセージ。
もちろん、添加物ゼロでいけるなら、それがいい。
無農薬の野菜を食べて、「やっぱり野菜の力が違うね、美味しいねー」と笑っていたい。
でも、なかなかそればっかりはできない。
私が毎日、食事を準備できるわけでもない。
ムスメは今年もマクドナルドのカレンダー(妖怪ウォッチになったねえ)を欲しがるだろう。
宮崎駿監督は、そんな母である私への「救い」を用意してくれていたのかと、『ポニョ』を見て思った。
もちろん、美しい世界が良い。でも、たまにハムやチキンラーメンでもいいじゃん、と。
(ちなみに私自身は、常にチキンラーメンが3袋はストックがある、共働きの家庭での幼少期を過ごしました)
そう考えると、宮崎駿監督の主人公のあどけない女の子たちにささげられた、「なぜかスペイン語でめちゃめちゃに下ネタになってしまう」名前にも、意味があるのではないかと勘ぐってしまいたくなる。
それもメッセージなら、私は、楽しいなあ。
で、これがちょうど前回の児童精神科医・石川憲彦さんインタビュー「それは美化された自然や『生』ではないか」という話と同じなんですね。
実際に生き物が命を獲得していったような自然は、相当に、「きれい」でも「良い」でもないはずです。生命力というのは、本来、環境がどうであれ、与えられたものがどうであれ、「生きて」いくもの。良いか悪いかは別に再生していく、それが生き物であること、これだけは間違いない。
私は、「それでも生きていく」を、全力で応援してます!
※12/6(土) 14:30~ 石川憲彦先生とお話会
「こどもとの時間が楽しくなる3つのヒント」
イヤイヤ期、反抗期、思春期。登校拒否、発達障害、引きこもり……。
「こどもといるのがしんどい」と思うとき、こどもだって「親といるのがしんどい」と思っているかもしれません。
児童精神科医の石川憲彦さんは、生きづらさを抱えるこどもたちと向かいあって40年。
そこから見えてきた、親子の関係をつなぎなおす3つのヒントとは。
定員20名程度。畳のうえでのんびり、お話し会です。お子さま連れ、大歓迎!