※「そうだ、先月のメルマガから転載しよう」の回です。
■-■ 今週の「生きる知恵と力を高めるアレ」 ■-■
☆★【エピクテートス『人生談義』】★☆
こんな私ですが、うじうじもします。
昨日も、友人が私の分も「スペシャルランチ」
嗚呼、一度はスペシャルと心を決めたつもりだったのに!(
そういうときはだいたい、すべてが少しずつうまくいかない。
ともだちとの約束を忘れてたり、仕事の連絡ミスがあったり、
ああ私の牛! もといバカ! 放っておけばどこまでもうじうじぐじぐじ、メンタル・
そんなとき、立ち返る言葉があります。
返るも返る、2000年。古代ギリシャの哲人・
ソクラテスの時代。彼と同じくエピクテートス先生も、
そこに役人が来て、カツ丼も出さずに説得をはかって曰く。
「先生、どうぞお説を変えてください」
エピクテートス先生、毅然と答えて曰く。
「ヤだね」
役人氏、驚いて訊ける。「しかし、それでは、
エピクテートス先生、眉毛をぴくりとも動かさずに答えて曰く。
「いつ私の首は刎ねられることのない首だと云ったか」
刎ねるのならどうぞ刎ねなさい、それは私の知ったことではない。
ただし、「思う」「考える」は私のすること。だから、
エピクテートス先生は、「権内」と「権外」
◇考える、思う、行動する。それは、自分の「権力の内側」
◇一方、それへの評価は、自分の「権力の外側」にあること。
「権外」のことについては、「私」は力を及ぼすことはできない。
なので「権外」のことは、(
あるいは歴史好きの方なら、
「行蔵は我に存す 毀誉は他人の主張 我に与らずと存候」
そのひろびろとした度量で江戸城の無血開城を実現させた明治維新
「さあ、自分の持ち場に戻りなさい」
どちらの言葉にも、そう言われたような気がして、
失敗しちゃった、どう思われてるかしら。ぎゅっと、
でも。とにかく、「権内」のこと、
さ! 歩きだそう、もう一度。
ちなみにエピテートス先生のこのエピソード、上下巻ある『
毎回そこであまりに感動してしまうため、じつはこの15年、
◆『人生談義』(エピクテートス、岩波文庫)
http://www.amazon.co.jp/dp/
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
Libertad=スペイン語で「自由」
「リベルタ自由つうしん」は、週に1度くらい配信予定です。
書いているのは、リベルタ学舎代表・湯川カナです。
※ 配信お申し込みはこちらから
http://lgaku.com/magazine