※「そうだ、先月のメルマガから転載しよう」の回です。

 

■-■ 今週の「生きる知恵と力を高めるアレ」 ■-■


☆★【エピクテートス『人生談義』】★☆


こんな私ですが、うじうじもします。

昨日も、友人が私の分も「スペシャルランチ」を注文してくれたあと、おずおずと店員さんに「すみません、やっぱりミックスランチに変えてもらえますか?」と訊く始末。
嗚呼、一度はスペシャルと心を決めたつもりだったのに!(ちなみに水道筋商店街「洋食プチ」にて。名物のカニクリームコロッケは11月からですよ~)


そういうときはだいたい、すべてが少しずつうまくいかない。
ともだちとの約束を忘れてたり、仕事の連絡ミスがあったり、間違ってこどもの工作を捨てて号泣されたり。
ああ私の牛! もといバカ! 放っておけばどこまでもうじうじぐじぐじ、メンタル・デフレスパイラルの予感。


そんなとき、立ち返る言葉があります。
返るも返る、2000年。古代ギリシャの哲人・エピクテートス先生の『人生談義』。
ソクラテスの時代。彼と同じくエピクテートス先生も、ときの権力に屈することなく我の信じるところを説き、投獄の憂き目に遭った。
そこに役人が来て、カツ丼も出さずに説得をはかって曰く。

「先生、どうぞお説を変えてください」
エピクテートス先生、毅然と答えて曰く。
「ヤだね」


役人氏、驚いて訊ける。「しかし、それでは、王は先生の首を刎ねるでしょう」
エピクテートス先生、眉毛をぴくりとも動かさずに答えて曰く。

「いつ私の首は刎ねられることのない首だと云ったか」


刎ねるのならどうぞ刎ねなさい、それは私の知ったことではない。
ただし、「思う」「考える」は私のすること。だから、他人に指図されるものではない。


エピクテートス先生は、「権内」と「権外」という言葉をつかって説明します。
◇考える、思う、行動する。それは、自分の「権力の内側」にあること。
◇一方、それへの評価は、自分の「権力の外側」にあること。

「権外」のことについては、「私」は力を及ぼすことはできない。
なので「権外」のことは、(たとえそれが自分の首が刎ねられるということであっても)潔く諦め、そのかわりに、「権内」のことにしっかりと力を尽くしなさい。


あるいは歴史好きの方なら、思い起こされるフレーズがあるかもしれませんね。

「行蔵は我に存す 毀誉は他人の主張 我に与らずと存候」

そのひろびろとした度量で江戸城の無血開城を実現させた明治維新の立役者・勝海舟のことばです。



「さあ、自分の持ち場に戻りなさい」
どちらの言葉にも、そう言われたような気がして、背筋がシャンと伸びます。
失敗しちゃった、どう思われてるかしら。ぎゅっと、身体と心が固くなります。

でも。とにかく、「権内」のこと、自分のすべきことから順番にしていこう。
さ! 歩きだそう、もう一度。


ちなみにエピテートス先生のこのエピソード、上下巻ある『人生談義』の上巻の18ページに登場します。
毎回そこであまりに感動してしまうため、じつはこの15年、まだその先を読んだことはありません。うーん、いったいどんな話なんだろう。


◆『人生談義』(エピクテートス、岩波文庫)
http://www.amazon.co.jp/dp/4003360818



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Libertad=スペイン語で「自由」

「リベルタ自由つうしん」は、週に1度くらい配信予定です。
 書いているのは、リベルタ学舎代表・湯川カナです。

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いつ私の首は刎ねられることのない首だと云ったか

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