本との出会いはおもしろい。それは必然のタイミングで訪れる。それはずっと前から手元にあった、いつかだれかに勧められていた。でもいま、何気なくページをひらいた。そのときそこにあり、光を放っている。まさにいま読まなければならなかった、ほかならぬいま出会わなければならなかった言葉。ああ、そういうことだったか。必然。いまここにいる存在まるごとで、ひとり深く納得する。

 

夜と霧
『夜と霧』(ヴィクトール・E・フランクル、みすず書房)。

 

最初に知ったのは、だいすきな編集者さんで巡礼部仲間の、新潮社・足立真穂さんのすすめだったと思う。
Youtubeに出ている。 「心に灯をともしてくれる1冊」vol.15 足立真穂

すぐに図書館で借りた。分厚い本で、すぐ開くことができないまま、あっという間に返却期限の二週間が過ぎた。いちど、延長を申し込んだ。それでも読むことができなかった。
あの震災から一ヶ月後。私はひとつめの起業をし、「被災地ママ友支援」を立ち上げたりしていた。まったく余裕がなかったのだろう。

それから三年が経った。なにかのときに「『夜と霧』、読んでないんだよね」と漏らすと、ホイ、と貸してくれた友人があった。三年前は知り合っていなかったひとだ。そのひとにとってもいちばん大切な本のひとつだという。

 

先週末、私は、秋に出る本の原稿に行き詰まり、周囲のすすめもあって、武庫川沿いのさびれたホテルに2泊3日でカンヅメになって書くことにした。テレビもネット環境もなく、食事に外に出ることもない。カーテンもだいたい閉めていた。そこに一冊だけ、持ち込んだ本。原稿書きの合間にベッドに横になり、少しずつ読んだ。3日分として配給されたすこしの食糧のように、大切に。

アウシュビッツに収容された心理学者による体験記。でもすごく透明で風通しが良いのは、「自分」への憐憫がないからだろうか。最近インタビューを受けた尹雄大さんのことばを借りると「セルフジャッジがない」からかもしれない。足立さんも言われている「俯瞰」が、全体を貫いている。どこまでも自分を遠くから、しかし(たとい唇を噛んでも)批判的にではなく、眺めている。そういう狭い部分に自分が入り、読者を導くことを、きびしく制している。

だから、こういう文章が、さらりと出てくる。たぶんね。

 

人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない(P110)

 

強制収容所という、人間の尊厳どころか命までもとことんないがしろにする場所で、「いや、それでも私には精神の自由があった」と言い切る、その苛烈さ! 小さな命など、ほんとうにぷちゅっと、おそらく自覚もなくひねりつぶしてしまう巨大な心ないシステムの前で、泣き叫んで許しを請う(誰に? 誰があなたの人生を支配しているのだ?)でもなく、自らの堕落を「仕方ない」とくどくどと言い訳をする(誰にだ?)のではなく、「それでも私は自由のなかで生きている」と、すっくと立ち続ける。

その覚悟と態度に、深く頭を垂れるし、「人間はこう生きることもできる」という、ものすごく大きな励ましというか可能性を感じる。「生きる」沃野がぐんとひろがる、しかもそこは素晴らしく風通しが良い。

 

私自身の話をすると、変態的な量の文章を書く私が、二週間ものあいだ、ああでもないこうでもないと書きあぐねて最後には編集者さんに出版まで危ぶまれるに至ったのは、その第二章のテーマが、じぶんの人生を振り返るものだったからだ。おそらく私に欠けているのは「自分を俯瞰すること」や、「誰かに許しを得るのではなく、自分で自分をゆるすこと」だった。
もし強制収容所にいたら、私はどのようにふるまっていただろうか?

 

「強制収容所ではたいていの人が、今に見ていろ、わたしの真価を発揮できるときがくる、と信じていた」
けれども現実には、人間の真価は収容所生活でこそ発揮されたのだ。おびただしい被収容者のように無気力にその日その日をやり過ごしたか、あるいは、ごく少数の人びとのように内面的な勝利をかちえたか、ということに。(P122)

 

ほんとうは毎日のすべての瞬間こそが、「本番」である。人間の真価は、そこでこそ発揮すべきものである。私は、なにかをごまかし、なにかを「~させてもらえない」と言い訳しながら、二度とない生き物の時間を、まるごと生きられるはずの自分の命の一部を殺して、過ごしてはいないだろうか。
そして、命は「一部」だけを殺して、あとは傷つかずに生きていけるようなものではない。命を織りなすすべてのものは有機的な結合をしている。遠く離れた琵琶湖西岸の強風でJR神戸線の須磨ビーチあたりでも遅延や運行中止が出るのだ。なにかを諦め、命の一部を殺すことは、まるごとの命を、必ずどこか損なってしまう。

 

ここで必要なのは、生きる意味についての問いを180度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ…(中略)…もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。

生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考え込んだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。(p130)

 

ここから始まる130ページ(新版)からの文章が、圧巻。「生きる」ということはつねにそれぞれのひとの目の前に立ち現れる具体的ななにかであり、だからこそ、ひとりひとりにたったの一度、他に類を見ない人それぞれの運命をもたらす。それは麻雀をつうじて考えると、痛いほどにわかる。いや、もちろん麻雀なんかをつうじなくてもよい。でもここで麻雀を持ち出してしまうのが、私の「具体性」、しかたのない「丸ごとの私のありよう」なのだろう。

生きること自体が問いである。私たちに求められているのは、切迫していつも具体的に私たちに選択を、あるひとつの態度を選ぶことをつうじて、それに答えを出すことである。「生きて、さあ、なにをしよう」というとき、見失っているのは、その切迫である。生き物としての時間である。麻雀に……は、もう、たとえなくていいね。

 

2泊3日のあいだに、2万6千字くらいの原稿を書いた。半分くらいはカットされるだろう。それでいい。本は共同作業なのだから(と言える本のつくりかたは今回初めてなので、けっこううれしい)。ともかくできるだけのまるごとを書いた。もしもこれを読んで、誰かひとりでも、「生きる」沃野がほんの半歩分でもひろがった、少し風が吹いたと、感じてもらえたら、最高にうれしいなあと思いながら。「へええ、こうやって生きてても、元気なんだ! 自由なんだね!」と笑ってもらえたら、それは私固有の生に具体的に訪れた問いに答えた、なにかになるかもしれない。「名前」かな。

強制収容所で最初に失うのが名前だ。このことを私は、シベリア抑留の記録を残した詩人・石原吉郎のことばで知った。

 

「人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければならないものなのだ」『望郷と海』より、みすず書房)

 

個人の権利を奪う、つまりは番号や数などの抽象的な概念でしか見ない巨大で心ないシステムを、私はほんとうに嫌いだ。憎んでいる、と言ってもいい。こどもが戦争にとられるというのは、その命が「死者」として数字に置き換えられるということだ。「最低限の犠牲者で作戦は目的を達し」などと、どこかの誰かに半笑いで語らせる権利を与えてしまうことだ。ひとの命に、「最低限」もなにもあるものか。ひとつひとつが、固有の名前をもつ、かけがえない命なのだから。

 

私は偉くもないし専門知識もないし、与えられた問いの前でジタバタするだけだけど、せめてそのジタバタを、包み隠さず、まっすぐに、みてもらおうと思っている。アスファルトの割れ目に咲いてしまったタンポポのようなもので、そこに生えちゃったから仕方ないのだ。

よりよくその生を十全に開花させうる場所はあっただろう、温室とかさ。より高くその生を十全に全うしうる場所もあっただろう、誰も手の届かない日当たりの良い丘の上とかね。

でも私は仕方なくここに咲く。通行人に踏まれ、車のタイヤにもそれと気づかれずに踏まれ、犬におしっこかけられる。それは私が選べることではない。しかし、「でも咲く」「楽しく咲く」ことは、私が選べることである。それは私の「自由」であり、その全力での在り方が、きっと数字に回収されない私の名前を担保する。

 

やがてキラキラした目をもつ、まだすくない髪がくるんと巻いた女の子が、私をみつけてしゃがみこむ。私はそのとき、綿毛になっている。その子が手を伸ばして、私を摘む。それでいい。女の子が唇を可愛くすぼめて近づける。うっとりするような甘い息が、やわらかな風を起こす。私はどこかへ飛んでいく。それでいい。それがいい。そのとき私は、十全な生に、安らかに目を閉じることができるだろう。

その日まで、雨なら雨なりに、晴れれば晴れなりに、毎日の具体的な問いに、答え続ける。生きている喜びに、全身の細胞をふるわせながら。

 

たくさん書き込みがあるのを恥じながら、でも私の切迫を感じて、本を貸してくれた友人に、心から礼を言う。感動したよ、すごかった、間違いなく私にはいま読むべきものだった。そう話すと、じゃあそれあげる、かえって迷惑かもしれないけど、と、電話のむこうで笑っていた。

 

アスファルトの割れ目に咲いてしまったタンポポのような―『夜と霧』を読んで

アスファルトの割れ目に咲いてしまったタンポポのような―『夜と霧』を読んで」への2件のフィードバック

  • 2014/07/31 11:21 AM
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    湯川さんの、みずみずしい活き活きした文章に、心震えました。勇気がでました。ありがとうございます。
    私は、ささの葉合気会の廣田と申します。
    以前からリベルタ学舎に関心があり、先ほどホームページを覗かせて頂いたら、湯川さんの文章に出会いました。感謝します。

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  • 2014/08/22 10:08 AM
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    廣田さん、ありがとうございます!!!

    ぜひ今度お話しできたらうれしいです~!!!
    もしお時間あれば、長屋「海運堂」にも遊びに来て下さいね。

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