「うまい話にゃウラがある」
そんなん当たり前じゃん。ひっかかるのがバカだよね。

テレビで詐欺や株で大損のニュースを見るたびそう思っていた。19歳で高田馬場の麻雀荘でメンバーを始めてから毎日浴びるように麻雀を打ってきて、そんな「ばくち打ちの常識」は身についていると思っていた。

けど、やっちゃったなあ。

 

当時の同僚のひとり、渡辺洋香プロ(「だめんずうぉ~か~」ヨーコ会長)。「あれから20年」の、2014.4.13撮影
当時の同僚のひとり、渡辺洋香プロ(「だめんずうぉ~か~」ヨーコ会長)。「あれから20年」の、2014.4.13撮影
こちらも元同僚、清水香織プロ。20歳以来、20年ぶりの再会。2014.4.14撮影。
こちらも元同僚、清水香織プロ。お互いに20歳以来、20年ぶりの再会。2014.4.14撮影

 

2013年11月。開校から半年経って、リベルタ学舎は、けっこうピンチだった。
軸にしてきた体感教室だけでは経営が成り立たない。借入金も底が見えてきた。家に帰ればお金の話でケンカばかり……の時期すら過ぎ、「私は死んでもリベルタ続けるばい!」と、散らかった部屋を片付ける余裕もなく、ひとり血相変えて走り回っていた。

なにがやりたかったんだっけ。そうだ、ちいさなこども連れでも気軽に来られる居場所にしたかったんだ! と、「おむすび屋台」をつくれば、口約束とはだいぶ違う金額を請求される。ぼっろぼろの月末、それでもこのひとと一緒だからやれると心を決めたパートナーから「やめたい」と言われたときには、世界が足元から崩れた。

そんなときだった。ある団体から、一緒にやらないかと声がかかった。

 

彼らのことはすこし知っていた。こどもたちと年間を通して稲作をしたりしていて、ああ、いいなあ、そういうことをやりたいよなあと思っていた。
オファーは、その団体の理事の自宅を、地域コミュニティの拠点として開放しようと思う。ついてはその核に、リベルタ学舎の学童保育に入ってほしい、家賃もとても安くで提供する、という内容。

飛びついた。「リベルタ学舎」という場が残るなら、もう私が代表だとかそういうのはどうでもいいと思った。この子さえ、生き延びてくれるなら。村の長者の屋敷の軒先に、生まれたての赤子をそっと置いてくる母のきもちだった。

私ひとりではこの場を維持できない。夢があり、たくさんの応援と期待を受けてきたこの場を。でも、農村での自由教育に取り組むその団体は、都市の自由教育の拠点として、リベルタ学舎を求めてくれていた。なので、リベルタ学舎がその団体の一事業になるということも含めて、オファーを受けることにした。ああこれで、従業員のお給料もしっかり払える。よかったね、よかった。あーりんと涙を流した。

 

12月、前回紹介した80人薪割りの夜、神戸にとんぼ帰りしてその理事と会った。いいひとだった。いっぱい夢を語った。共同体。自由教育。共創。生活者。響き合うキーワードがたくさん出てきた。
だけど、その一軒家は、リベルタ学舎の代名詞でもある、愛する前田畳製作所の畳を敷いてワークショップや学童をする広々とした空間を再現するには、あいにく狭かった。とても残念だけど断ることにした。同行したメンバーも、その判断を支持すると言ってくれた。

場所を変えて、喫茶店であらためて話。どうですか、と問われた。「もし万が一ですが、2階の壁を撤去して、2部屋をつなげて使ってもいいのならば、入居を考えますが」 そう切り出すと、意外にも「いいですよ」と即答。家賃も相場の半分ほど。それで、決心した。
ああ、赤子のリベルタ学舎は、よいところに拾われた。心からそう思った。

 

今度は、3階建ての一軒家。2階は広々とした畳の空間で、学童保育とワークショップ。3階は赤ちゃん連れで来られるコワーキングスペース。1階はコミュニティカフェ。「早朝薪割りができれば」と私が言うと、「薪ストーブ入れたいね」と家主さん。年末、大好きなランバージャックス加古川とも引き合わせた。「井戸を掘る」「山羊を飼う」、話はどんどん膨らんだ。

でも、進まないこともあった。それが、入居の確約。なかなか書面作成に合意してくれない。でもリベルタ学舎のお客さんに早く移転のことを伝えないといけない。ともかくもアナウンスについての了解を得て、年末に告知した。実家の長崎で紅白歌合戦を見ている途中、「来春からいまのリベルタの学童に通うつもりで準備していた。生活設計が狂った」とお怒りのメールが届いた。間に合わなかった、と、血の気が引いた。謝罪の返事を書きながら年を越した。

 

視聴率低迷中ですが、海外生活者の年に1度の楽しみ。私のスペイン時代十年間もそうだし、外国航路の船乗りの父も長年そうでした。
視聴率低迷中だそうですが、海外在住邦人の年に1度の楽しみ。私のスペイン時代十年間もそう、外国航路の船乗りだった父も長年そうでした。

 

年が明けても、なかなか進まない話し合いが続いた。事業計画書や経理会計書類の提出を求められた。コンセプトの見直しを要求された。話し合いは平日の夜か土日だった。気がつくと、今週は一度も家でごはんを作っていない……なんて日が続いた。

「書類作成の前提条件」は、どんどん変わった。入居の前提であった2階の壁の撤去はやっぱり認めないとすぐに言われた。団体との合流も認めない。さらに採算の合わない学童保育はやめるようにとも、一度は言われた。それでは共同体にならないと説明するために、膨大な手間と時間をかけて資料をつくった。
家賃は当然、いつか市場価格にあわせる。コワーキングは成功例ないのでやめるように。代案で出した3階への畳の設置とそれに伴う壁の撤去も、「問題ない」で決着したミーティングから1時間しないうちに電話で「認めない」にひっくり返される……。

それでも、私は踏ん張った。家賃が安くなる。憧れの一軒家になる。この移転が実現すれば、学童保育をしたいひと、コワーキングをしたいひと、みんなの夢を叶えられる。いろんなひとに「やめとけば」と言われながらも、固執した。書面ないことに不安を抱えつつも、1月末、現在の場所の退去を管理会社に申し出た。

 

1月、右手首を痛めた。2月、右足首を痛めた。私の身体はとても偉くて、心が折れる前に、いつもアラームを出してくれる。感謝を込めて、「炭鉱のカナリヤ」と呼んでいる。そのカナリヤが、ピーピー鳴いていた。

3月、なんとかこれだけでもと進めてきた、書面と呼べるほどでもないA4用紙1枚の覚え書き。数少ない項目のひとつである賃貸借契約解約の通告について、互いに半年前申し入れで合意していたのを、大家側からは2ヶ月前通告にすると赤字で一方的に書き直したものが届いた。それではとても、安心してこどもたちが通う場にはならない。さすがに、これはよくない、と肚を決めた。

 

リベルタ学舎ロゴ

 

「きれいな空気・良い環境・おいしい水」

なんてエコロジー♪ でもこれ、実は、ナチスの初期のスローガン。

 

「私」を訪れるものには、ふたつある。善と悪。ふたつはそっくりの顔をしている。7匹の子ヤギを狙うオオカミが、小麦粉でその脚を真っ白にしたように。いや、オオカミならまだ自覚があるから良い。だいたいの「悪」は、自分を「善」だと思っている。その脚には、最初から、善意の白い粉がまぶされている。
ではいったいどうしたら、ふたつを見分けられるか。

 

2012年の内田樹先生の寺子屋ゼミ、釈徹宗先生を迎えての「現代霊性論ビヨンド」。
一見似ている「邪悪なもの=自我肥大」と、「自分に生きる知恵と力を与えるもの=共身体形成」との見分け方を、切実に質問したことがあった。

内田先生によると、キーワードは、「それは多様性を許容するものか?」。
こちらを訪う者がいる。あちらとこちら、ふたつで新たな生命体を作り出すようなもの、それは「よきもの」である。一方で、そうではなく、こちらをあちらの生命に取り込もうとするもの、それは「邪悪なもの」である。

 

同じ2012年、小児精神科医・石川憲彦さんのインタビュー。私はやはりまったく同じことを訊いている。「『一見良いことだけど、実はとても危ないこと』は、どうやって見分けたら良いのでしょう?」

石川先生の答えは、「それが美化された『自然』や『生きる』ではないか、ということ」。
「『良いもの』を求めて流れていくと、生命力はなくなっていく。『良いもの探し』をすると、我々は常に、『ケミカル』が分ける、非常に特定のものに吸収されていってしまう。『美化された自然』の方ね。」
「『発達障害』と教育-『普通』って何?」

 

ま、それ以前に今回は、他人のふんどしで相撲を取ろうなんて了簡が、もともと甘ぇっつう話だぁね。

 

ふんどしの貸し借りはやめましょう。
ふんどしの貸し借りはやめましょう。

 

というわけで、その家への入居はやめることにした。このままでは、いちばん大事な「自由」を失うことになる。そりゃまあいろいろ心底痛いけど、向こうも善意で声かけてくれたのだし、何も言わない。

 

3月末、「こどもアトリエ・春休みパック」を、会場を旧リベルタ学舎に変更して、のんびりやっていた。幸いとっても素敵な親子さんたちが集まってくれて、みんなでまいにちごはん作って、外遊びに行って、花見して。

ある日、こどもたちが使った食器を洗っていると、合流予定だった団体のメンバーから声をかけられた。例の家で、学童を始めるので、リベルタ学舎のお客さんに案内したいということだった。なんでもあの家は、私たちの入居がなくなっても、それとは無関係に、彼らの団体のまちの拠点としてオープンさせることとし、準備も着々と進んでいるという。カフェ。そして、学童保育。

 

へえー。

……そら、あんまりや。

で、右手の人差し指を包丁でざっくり切った。5針縫った。

 

「ご案内」は、断った。もちろん法律上、当たり前なのだけどね。

そしてあらためて、「リベルタ学舎」の居場所が欲しくなった。長屋みたいに、ちいさなこどもを連れて気軽に集まれる場所。お醤油かしたり、ちょっとこども見といてもらったり、みんなでお餅つきしたり。生きた人間が交わる場。そこで、アートがあって、狂言があって。

だけど、私ひとりの力で、そういう場所を「サービス」として提供することは、現時点では難しいことがよーくわかった。もし、こういう場を必要とするひとがいたら、みんなで支え合うかたちでできればいいなあ。でもそれって、どうなんだろう?


「リベルタ学舎のような場所は、ぜったいに必要! たとえばうちのファミリーが一軒家に引っ越して、一部をリベルタ学舎に貸すかたちにすれば、家賃も下がるし、みんなが集まってきて嬉しいのだけど、どう?」
なんと、そう言ってくれるメンバーが、ふたりもいた。
But I’m not the only one,  だぜ、ジョン・レノン兄!

 

イマジン。
イマジン♪

 

そう、気がついたら、私には仲間がいた。もうだいじょうぶ。お母さんはもう二度と、この生まれたての子を、「よかれ」と思って、お金持ちのおうちの門に置いてきたりはしないからね。だって、ひとりじゃないから。私ひとりでは育てられなかったこのリベルタ学舎という赤ちゃんを、みんなが一緒に育てようと集まってきてくれているから。

 

ああもう、なんてこった!
グラシアスだよ、人生は♡♡♡

 

episodio23-うまい話にゃウラがある

episodio23-うまい話にゃウラがある」への3件のフィードバック

  • 2014/04/15 10:28 AM
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    カナちゃん、大変だったね。
    仕事中に読んじゃってるけど泣けたわ…

    返信
  • 2014/04/22 12:24 AM
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    世の中いいことばっかでもないけれど悪いことも続かない。だいじょうぶだいじょうぶ。信じていればきっといつか、だよ。動くことも大切だけど動かないで回りを見渡すときも必要。かなちゃんの一生懸命はちゃんと伝わる。神様にも!んで神様は案外近くにいるもんなんだ。

    返信

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